き ー江戸時代のSDGsー

 江戸風俗研究家の杉浦日向子さんの本を読むのが大好きだ。彼女の描く江戸の世界についての文章の中にはえっ?と驚かされるものが多い。たとえば『頑張る』という言葉は我に張るということで浅ましい言葉だという。逆に『いい加減』という言葉は『大人というのはいい加減が分かる人』とポジティブな意味でとらえていたりする。熱すぎず、ぬる過ぎない良い加減を分かる人が大人だという。

 僕にとって江戸時代の文化といえば落語だ。大阪で大学に通っていた頃、よく落語会に行った。上方落語の本拠地だけあって、頻繁に落語会が開催されていた。朝から夕方まで落語家が次々と出てきて落語を披露する。最初は若手の落語家が出てくる。肩に力が入っているのが感じられ、ほほえましい。だんだんとベテランの落語家がでてきて、円熟の芸が披露されていく。

 落語というのはありえないようなめちゃくちゃな話があったり、泣かせる話があったり、そのネタはバラエティーに富んでいる。マクラがあり、落ちがある。いくつも聞いているうちにどんどんと好きになった。落語家が落語をするのに必要な道具は扇子と座布団だけだ。客は前に座って聞くだけでいい。ほとんど物を使わずに贅沢な時間が過ごせる。電気もスマホも無くてもいい。サスティナブルな娯楽だと思う。人間にはそういう知恵があり、技術がある。

 杉浦さんの本では江戸の人たちの暮らしが活き活きと書かれている。江戸の市井の人達は物をとにかく、長く使ったそうだ。修理を重ねて原形をとどめないくらい使い、最後まで役立てたという。少なく作って長く使う。修理や再利用に労力を使う。物に執着するのではなく、少ない物でゆとりを持って生きていく。そのような生活をしていたらしい。もちろん、貧しさから、そうせざるを得なかった部分もあるのだろう。火事が多かったということも関係していると考えられる。江戸ならではの問題もたくさんあっただろうが、こと『物』と人間の関係性という点に注目すれば江戸の町は国連が提唱している持続可能な開発目標 (SDGs)に合致している部分があると思う(目標12『つくる責任 つかう責任』など)。

 テレビでたまにお見かけした杉浦さんはやさしい表情でおっとりとお話しをされた。しかし、いつもきっちりと芯の通った大人の話を口にされた。見た目は柔らかくて、しかし自分をしっかりもっている。それが粋だということだと僕は思う。

 その杉浦さんも今はいない。

 杉浦さんは江戸を心から愛して、現在を江戸というフィルターを通して見ることのできる稀有な人だった。彼女の教えてくれる江戸の世界は興味深く、いろいろなことを考えさせられる。

一度、お酒をいっしょに飲むような機会をもちたかったなあと心の底から思う。