んぴつ ―鉛筆は新しい―

 私たちは物に囲まれて生活をしている。物は何らかの材料で作られている。その材料について深く理解するのが化学のひとつの役割である。身近な物の材料には今まで人類に知られていない不思議な性質を持っていることがある。身近にある物が垣間見せるそうした不思議は意外性ということもあって、科学者たちをわくわくさせる。

 ここでは”鉛筆”にターゲットをあててみたいと思う。

 鉛筆は僕たちみんなが一度は手にしたことがある道具だろう。小学生の間でもシャープペンシルがさかんに用いられるようになって僕が子供の頃と比較して鉛筆の使用量は減ってきているそうだ。しかし、今も鉛筆は重要な筆記具であることには変わりはない。たとえばマークシートのテストでは鉛筆を用いることがよいとされている。化学の実験でも物質を分離して定性するのに用いる薄層クロマトグラフィーにマークをつけるときにはシャープペンシルではなく、鉛筆を使うことが推奨される(シャープペンシルでは深い傷ができてうまく物質を分離できなくなる可能性がある。)。絵を書くときも鉛筆は重要な道具と言えるだろう。鉛筆で物を書くという行為は多少、減ることがあったとしても消えることはないだろう。

 さて、鉛筆は木と芯からできている(木のかわりにプラスチックが用いられている場合もある。)。さらに芯はグラファイトという炭素の粉と粘土を主成分としてワックスなどが混ぜられている。この鉛筆を利用した面白い発見を僕の研究室がしたので紹介したいと思う。

 学生のKさんと金ナノ粒子を濾紙の表面に析出させるという研究を行ったときのことだ。金ナノ粒子というのは普通イメージされるような金色ではない。表面プラズモン共鳴という物理現象により、一般に赤色から紫色を帯びた色を呈する。ステンドグラスに赤い色を出すために金が用いられたのもこの現象に起因する。濾紙を金イオン水溶液、水、アスコルビン酸水溶液、水、金イオン水溶液、水、アスコルビン酸水溶液、水・・・・・と順々に漬けるという簡単な手法により、赤色に濾紙が染まった。この結果から金ナノ粒子を濾紙に安定に付着させる新しい手法を発見したと思い、僕たち研究グループは喜び勇んでいた。電子顕微鏡で測定してみると思ったとおりに金ナノ粒子ができていたので、論文に書こうと準備をしていたら、共同研究者が同様の内容を報告した論文が直前に出ていることに気が付いた。愕然として僕はどうしようと頭を抱えていた。するとKさんが

「面白いことがあるのですが、、、、、」

と遠慮がちにデータを示してきた。彼女は濾紙にいろいろな条件で金ナノ粒子を析出させてきたのだが、得られた試料を整理するために濾紙の表面に鉛筆で記号をつけていた。その際、Kさんは鉛筆でつけた小さいマークの個所のみ色がその周囲の赤色とは明らかに異なっている色、金色になるということに気が付いたのだ。鉛筆で塗った個所、すなわち鉛筆の芯の成分が塗られた部分で金がナノ粒子でなく、大きな塊になったのではないか(金はナノ粒子でなく、ある程度の大きさの塊になると金色となる。)?と僕はKさんに尋ねた。しかし、彼女は違うという。その場所を電子顕微鏡で調べたが、同じようにナノ粒子が形成されていて、金の塊になったわけではないという。これは面白いといろいろ調べてみると鉛筆で塗った部分にできる金色の金ナノ粒子は金ナノ粒子が持っている、そして金の塊は持っていない触媒作用を有しているということが分かった。つまり、「金色に光る金ナノ粒子」が濾紙を鉛筆で塗り、金イオン水溶液、水、アスコルビン酸水溶液に漬けるという簡単な作業で得られるという発見をKさんはしたのだ。これは、全く予想していなかった発見だった。そして、Kさんの注意力がなければ見つからなかった事象だった。

 それにしても、どうして鉛筆で塗った部分では金ナノ粒子は金色になるのだろう?不思議で仕方が無かった。そもそも金属が金属光沢を示すのは金属の持つ自由電子と呼ばれる電子の働きである。ナノ粒子においては、自由電子のふるまい(エネルギーの吸収など)が金属の塊と異なり、金属光沢を示さなくなる。鉛筆で塗った部分はグラファイトという成分が層状になって濾紙上で存在している。どうやら、このペンシルグラファイトがナノ粒子の自由電子のネットワーク回線となって金ナノ粒子の自由電子に金属の塊と同様のふるまいをさせているのではないかと考えた。しかし、その理由は完全には解明されていない。僕にとってはいまだに不思議な現象だ。

 身近で古くから僕たちのそばにいる道具である鉛筆は僕らのこの発見以外にも様々なところで最先端の研究に利用されている。温故知新という言葉は科学技術の世界でも重要な意味を持つようだ。