きざけ ―機械は幸せを運んでくるのか?―

 子供の頃を振り返るといつも浮かんでくる情景がある。

 夕焼け空のオレンジの範囲が狭くなり、街がだんだんと暗くなってくる。遊びを終えて友達とも別れなくてはいけない時間だ。みんなでさよならを言い合い、三々五々、家路に着く。家に向かって一人、歩いていく。遊んでいた公園から自宅まではそれほど遠くない。夕闇に包まれた家々は見慣れた近所なのにものさみしい。自分の家に近づくと窓から灯りが漏れているのが見える。母の作る夕ご飯のにおいがふとする。ほっと安心する。勝手口から大きな声で「ただいま。晩御飯は何?」と母に尋ねる。「おかえり。今日はお魚。」と母が答える。

 日常のなんでもない情景なのに、どうしてかそのような夕暮れの風景を鮮明に思い出す。そんな人はおそらく僕だけではないだろうと思う。

 子供時代の僕はもちろんお酒の味など知らず、大好きな飲み物といえばジュースだった。ジュースといえば缶に入ったものだったが、僕の高校時代に革命が起こった。ペットボトルの登場だ。最初はペットボトルの存在が面白く、何か利用してみたいという気持ちになった。僕が所属していた地学部で同期のI君が空のペットボトルにいろいろなジュースを少しずついれて混ぜて、ロッカーに数か月、静置し、発酵させたらどうなるか実験をしていた。

 地学部の主な活動は天体観測と化石採集だった。なかでも天体観測は頻繁に行った。観測場所は高校から電車で30分ほど行った駅から暗い道を15分くらい歩いたところにある河川敷だった。観測の日は授業が終わった後、家にいそいそと帰り、晩御飯を食べ、観測できる服装に着替え、双眼鏡などをリュックにほりこんで観測場所に向かった。電車の駅を降りてから、夕闇でいっそうさみしくなった道をとぼとぼと一人で歩いていく。やがて河川敷が見渡せる土手に着く。河川敷のいつもの場所の闇の中に仲間たちが灯している懐中電灯のちらちらとした光が見える。それを見ると嬉しくなった。慌てて僕もその光にもとに向かい、望遠鏡を組み立てたり、テントを立てたりした。観測がはじまるのだ。

 大学生になるとアルコールの味を覚えた。最初はやはりビールだ。特に夏にのどが渇いたときは最高だ。どうしてこんなに液体をたくさん飲むことができるのだろうと思うほどビールをぐいぐいと喉に流し汲んでいた。だんだんビールも量が飲めなくなってくると今度は日本酒をちびちびやる楽しみを覚えた。日本酒を少し口に含み、ゆっくりと舌の奥のほうに運ぶ。その間、いろいろな味や香りを楽しむ。日本酒により、異なった風味がする。それが楽しい。

 利き酒は微妙な日本酒の味の違いを当てるゲームだ。いろいろなルールがあるらしいが、僕の聞いた利き酒のルールは以下のようなものだった。いくつかお猪口を用意し、それぞれに違うお酒を入れる。そのうちの一つのお酒を別に用意したお猪口に入れておく。違うお酒をすべて味わった後、別に用意したお猪口に入っているお酒を飲み、どのお猪口に入っていたお酒と同じものなのかを当てるというものだ。

 僕は環境を研究するうえで化学物質の分析をする技術をいくつか持っている。その中に液体中の溶解成分を短時間で検出するエレクトロスプレー質量分析法という技術がある。お酒も液体なのだから、この手法を利用して測定することにより、その成分の種類と存在比をみることが簡単にできそうだ。そこで、それぞれのお酒を測定し、結果を比較すれば利き酒ができるのではないかと考えた。早速、学生にこのアイデアを話したところ、学生たちは是非、やってみたいとすぐに実験計画を立ててきた。

 こうして「分析機器に利き酒をさせる」というプロジェクトがスタートした。

 まずは試料となる日本酒を集めることが必要となる。ちょうど夏休み前だったこともあり、学生たちは帰省先や旅行先で日本酒を購入してきた。そして、夏休みが明けると装置の前に集合した。僕もポケットマネーをはたき、大学の近くの酒屋さんでできるだけ多種の日本酒を購入した。こうして、たくさんの日本酒が集まった。学生たちはかたっぱしから分析を行った。

 結果、お酒に含まれている成分はほぼ同じであることが分かった。一方、その成分の量が異なっており、お酒によって微妙に異なるデータが得られることが分かった。もちろん、同じお酒では同じデータが得られる。すなわち、測定して得られたデータを見比べることにより、利き酒が可能であることが分かった。また、いわゆる合成清酒は一般のお酒と全く異なる成分パターンを示すことが分かった。

 この測定は機械の準備が整っている状況で一試料だいたい5分くらいで結果が得られる。実際、人間が利き酒をするときはひとつのお酒を5分間も味見しないだろうから、少し実際的ではないが、それでも「分析機器に利き酒をさせる」という初期の目標は達成できた。

 この研究は多くの人から面白いと言っていただけたし、僕も多いに楽しんだ。とくに研究が終わった後、余った日本酒を学生たちと飲み交わしたのは楽しかった。しかし、何か自分の中で引っ掛かる部分があった。人間同士の遊びに分析機器が入り込むというところがこの研究のミソで、面白い点なのだが、その点がまさに気になる部分だった。日本酒が好きな人同士が遊ぶ利き酒に分析機器が正解を携さえて入り込むことをこの研究は可能にした。人間と人間とが楽しんでいる空間に機械が入ることの不自然さが僕の中でどうにも違和感として残ってしまった。

 技術は進歩している。僕たちが想像すらできなかったようなことがテクノロジーでできるようになってきた。電子メールなどはその存在意義すら最初は分からなかった。手紙を書いて送ればいいじゃないかと思ったものだ。しかし、使い始めると便利で今や電子メールなしでは仕事ができなくなっている。はじめてインターネットに触れた時は知りたいことが簡単にすぐに得られて、ただすごいとびっくりした。それが今や、スマートフォンで、いつでもどこでもインターネットにアクセスできるようにまでなっている。

 しかし、ふと思う。

 それで、僕たちは幸せになったのだろうか? 僕たちが本当に欲しいのは情報でキラキラ輝く小さな画面より、自分の家で家族が灯す温かい灯りなのではないのか?仲間が灯す懐中電灯の光ではないのか?

 僕はいまもスマートフォンを持っていない。