いと -羊はえらい!-

 繊維学部のキャンパスではときどき羊が飼育される。

 羊はキャンパスから少し離れた附属農場から連れてこられる。羊からはもちろん羊毛が取れる。羊毛は重要な繊維産業の材料である。そのため、繊維学部の農場では羊を飼育し、羊毛を研究に利用したり、また、羊の毛刈りなどを学生の希望者に教えたりしている。この羊にキャンパスの雑草を食べてもらうのだ。逃げ出さないように簡単な柵を作り、その中に羊を放つと律儀に雑草をむしゃむしゃ食べてくれる。

 羊がキャンパスにやってくるとすぐ分かる。メエメエという鳴き声が聞こえてくるからだ。この羊がかわいい。手近に生えている雑草を引っこ抜いて手にして、

「おーーい。」

と声をかけると寄ってくる。そして、柵の外から僕が差し出した草を想像よりもずっと強い力で奪い取り、むしゃむしゃと食べる。面白いのが、差し出す草は羊が食べていた周りに生えている雑草と同じものなのに、こちらが手にしたものをいちいち、取りに来てくれることだ。気を遣ってくれているのか、僕との交流を楽しんでくれているのか、よく分からない。そうして、近くに来た羊を観察していると楽しい。その不思議な目の形は何か深いことを考えているようにも思える。

 羊毛は非常に複雑な層構造をしていることが知られていて、羊毛そっくりの繊維を人工的に作ることは非常に難しい。そのため『羊毛に代わる羊毛は無し』と言われる。羊毛を構成している主要なタンパク質はケラチンという。ケラチンはその分子間が硫黄原子と硫黄原子の結合で橋が架かったような構造を多数持っているのが特徴である。羊毛からケラチンを細かい粒子(ケラチンコロイド)として抽出する方法(信大法)を繊維学部の藤井先生が持っておられ、藤井先生と共同研究という形でこのケラチンコロイドを環境浄化に利用する方法を開発しようという話になった。

 ターゲットにしたのは鉛イオンだ。鉛イオンは毒性が強い物質であり、基準値が設定されており、それを排水や環境中から取り除くことが求められている。これまでも、いろいろな除去技術が開発され、実施されてきたが、それぞれ問題点があり、新しい除去法の開発が望まれている。鉛イオンは硫黄原子と相互作用をすることが知られている。そこで、硫黄原子を多く含むケラチンが鉛イオンと相互作用し、水中から取り除いてくれるのではないかと考えた。

 鉛イオンを含む水にケラチンコロイドを添加し、軽く攪拌してみた。すると、白い塊が生成し、底の方に落ちていった。この白い塊は鉛イオンとケラチンコロイドが形成した複合体で、それが大きな塊になることにより、沈殿したということが分かった。この沈殿物を取り除いて得られた水からは鉛イオンが除去され、その濃度が大きく減少する。また、加えたケラチンコロイドは凝集体の中に取り込まれることでほとんど水中に残存しないことも分かった。このように羊毛の成分であるケラチンが水の浄化に応用できることが分かった。生物から得られた材料は微生物などにより分解されやすく、環境に残存しにくいことが知られている。こうしたことから、羊毛から取り出したケラチンは、水の浄化に用いた後も環境中に残りにくく、環境に悪影響を与えにくい材料として使用できると考えられる。また、羊毛は天然繊維資源の中でもリサイクルが十分に進んでいない。ケラチンコロイドは使い古しの毛糸の着物からも取り出すことが出来るため、この方法は毛糸の再利用法としても有用であると結論づけた。草をおいしそうに食べている羊は羊毛という面白い材料をどんどん作ってくれる。この研究の結果が出たとき、改めてすごい動物だと思った。

 柵の内側の雑草を食べ終えると羊は農場に返される。きれいになったその場所は柵も外されて、妙な静けさが感じられる。そして風通しがよくなる。

 その風をどことなくさみしく思うのはセンチメンタルに過ぎるだろうか。