ち ―足下をつなぐもの―

 僕の尊敬する環境研究者の先輩の一人に中野先生がいる。(いつも中野さんと呼んでいるので、以降、中野さんと記させていただきたいと思う。)環境の世界で中野さん以上に大きな人的ネットワークを持っている人を僕は他に知らない。中野さんは非常に優秀な環境研究者というだけではなく、人とコミュニケーションをとり、人と人をつなげるという才能の持ち主だ。

 学会が終わった後だったか。中野さんが僕を呼んだ。寄っていくと、中野さんが海外の研究者と楽しそうに話している。そして、僕を先方に紹介してくれた。突然のことで、名前を名乗ることしかできず、中野さんとその研究者との楽しそうなディスカッションの中に入り込めなかった。後で聞くと、その研究者はダイオキシン研究の世界的な権威の人だった。それからかなり時間が経ってから「人は機会があるときにきちんと知り合いになっておかないといけない。」と中野さんに諭すように言われた。中野さんは怒った顔を見せない。やさしい顔で時々、後輩の僕にアドバイスをくれる。

 環境の研究において、人と人をつなぐネットワーク作り、研究グループを構築することは非常に重要である。というのも人気の出た映画の決まり文句ではないが、環境問題は『現場で起こっている』からである。その現場の状況に詳しい人間とその問題を解き明かすのに必要な技術を有する人間、そして行政がタッグを組むことが非常に重要となる。そうしたことを中野さんは長年にわたって続けてこられている。

 その中野さんと土壌汚染の新しい浄化方法を開発した。

  土壌汚染は近年、非常に社会的な注目を集めている問題である。とくにマスコミで大きくとりあげられたのは2017年に顕在化した「築地市場移転問題」であろう。都議会においてもさかんに議論されたので、記憶に残っている方も少なくないと思う。

 築地市場移転問題は築地市場の移転先である豊洲で採取された地下水がベンゼンなどの項目について環境基準を超過したというものである。移転先の土地が工場跡地であり、その工場からの汚染が原因だったようだ。食を扱う市場での土壌汚染ということで社会的な問題となった。

 土壌汚染問題がマスコミで頻繁に取り上げられるようになった契機として、土壌汚染対策法の施行(2003年2月)がある。土壌汚染は地下水の汚染につながる可能性がある。また、生物が体内に取り込むことにより、生物や生態系に有害な影響を与えることも考えられる。それゆえ、土壌汚染についての法律を制定する必要があるのは自明なことだった。しかし、水や大気の法的な環境汚染対策は1970年代にほぼ確立されたのに対し、土壌は大きく遅れをとった。これは、土地が資産であり、土壌汚染と認定された場合、地価が大きく下がること、土壌は手を加えなければ環境中を移動しないなどといった土壌ならではの特徴によるのだろう。

 土壌汚染対策法では、土地の利用形態が変化する時は、土壌汚染調査を行うこと、調査により土壌汚染が発覚した場合、その土地の元の所有者(あるいは土壌汚染を引き起こした原因者)が土壌を浄化することが義務づけられている。この法律が施行されてから、日本の各地で土壌汚染が発覚し、その対策が取られるようになった。

 土壌の浄化手法としては、客土という方法が一般的である。客土とは汚染された土壌を別の場所(最終処分場など)へ運び、変わりにきれいな土壌を入れるという手法である。しかし、処分場が汚染土壌を受け入れる能力に限界があることなどの問題がある。他にガラス固化法(汚染土壌を高温に熱してガラス化し、汚染物質が溶出しないようにする。)、土壌洗浄法(汚染土壌を界面活性剤などの薬剤を含む水に入れて洗う手法)などがあるが、いずれも土質や土壌環境に大きな変化を与えるという問題点がある。汚染物質を吸い上げる力を持つ植物を栽培して、土壌中の汚染物質を減らすというバイオリメディエーション法は植物を利用する環境にフレンドリーな方法であるが、浄化の確実性に欠けたり、浄化にかかる期間が長期にわたる可能性があったりする点が問題である。どの浄化手法も一長一短があり、土壌を浄化する新たな手法の開発が望まれている現状である。

 そこでPCBによる土壌汚染について深い経験を持っておられる中野さんと新しい土壌浄化法を作るべく共同研究を行うことになった。土から水を用いないで汚染物質を洗い取ることができないか?そんなクイズのような問題を解こうと、ずっと頭をひねっているとふと、新しいアイデアを思いついた。磁石を利用しようというアイデアだ。土壌中の汚染物質をくっつけ、さらに磁石で吸い取ることのできる粉を作れば、土をきれいにできるのではないか?

 海藻に含まれるアルギン酸ナトリウム(この物質に注目したのは、アルギン酸ナトリウムの大手生産メーカーに僕の研究室の卒業生が就職したという背景があったからだ。)という水に溶ける高分子はその水溶液にカルシウムイオンを加えるとゼリーのようになる。このゼリー状の物質をフリーズドライ(凍らせてから低温下で真空ポンプにより気圧を下げることにより、水を取り除く。)するとスポンジ様の物質となる。この性質を利用し、アルギン酸ナトリウムの水溶液に鉄粉と活性炭を加えた後に、カルシウムイオンを加えて、ゼリー状にする。それをフリーズドライしたすることにより、鉄粉(磁石にくっつく)と活性炭(有機汚染物質をくっつける)を含むスポンジ状の物質が得られた。これを細かい粉(Fe-AC-alg)にして、土壌の浄化に利用した。

 土壌の浄化は以下のように行う。まず汚染土壌にこの粉(Fe-AC-alg)を混ぜて、よく攪拌する。攪拌によって汚染土壌とFe-AC-algが衝突を繰り返すことにより、汚染土壌の表面に存在していた有機汚染物質はFe-AC-algが含んでいる活性炭にくっつく。そうして汚染物質をくっつけたFe-AC-algを磁石により土壌と分離する。磁石を使ってFe-AC-algを取り除くことにより、汚染物質が除去された土壌が残る。

 アルギン酸ナトリウムは先ほども触れたように海藻に多く含まれる生物材料であり、生物に悪影響を与えない物質であり、Fe-AC-algは環境に対してフレンドリーな材料であると考えられる。そこで、Fe-AC-algを実際の汚染土壌と混合してみて、浄化が本当に達成できるか検討してみた。

 結果、道路端土壌にFe-AC-algを加えて攪拌することにより、土壌中の環境汚染物質である多環芳香族化合物の約75%を除去することに成功した。また、とくに発がん性の高い多環芳香族化合物の除去効率が高く、毒性については95%減少させることができた。この研究成果は実験を担当してくれた学生さんの奮闘もあって、論文として発表することができた。

 Fe-AC-algを利用した土壌汚染の浄化はFe-AC-algが毒性の低い材料で非常に簡単に安価で調製できること、磁石で除去できるため、ろ過プロセスを省略できる点、溶剤を用いないため、土質を大きく変化させず、廃液処理が不要なことなどの利点があり、今後の活用に期待が持てると考えた。しかし、一方で有機質を多く含む土壌の場合、汚染物質以外の有機物が邪魔をして汚染物質の浄化における有効性が疑問な点、有機物は除去できるが重金属汚染などに対応できない点、再利用が困難な点など、解決すべき問題点がいくつかある。ともあれ、ひとつの新しい土壌浄化法を提案できたことはよかったと思っている。  

 足下の土をみんな踏みしめ生きている。土でみんながつながっているとも考えられる。僕らを足下でつないでいる土をきれいにする新しい技術を開発することができたのも人と人をつなぐ才人である中野さんといっしょに仕事ができたおかげだと僕は思っている。