っとう ―ネバネバで水浄化―

 小学生の頃の夢は科学者になることだった。

 そのきっかけは父に子供用の顕微鏡を買ってもらったことだった。顕微鏡の使い方を理解してからは、家の周りの溝や水たまりから水をとってきては顕微鏡で観察をしていた。反射鏡で光を入れて、接眼レンズをのぞく。そして、ピントを合わす。夢中になっていろいろな形の微生物を見ていた。それは僕にとって遊びであり、楽しみだった。何の目的もなく、ただ顕微鏡をのぞいていた。顕微鏡ばかりのぞいて勉強もせず、汚い泥水をたくさん部屋に持ち込んでくるので、母親が怒って顕微鏡を取り上げてしまった。科学者ならば顕微鏡をのぞいていても怒られないよな、と子供らしいことを考えて、科学者に対するぼんやりとしたあこがれを持った。

 僕は大学では化学を専攻した。化学を本格的に学ぼうと思った動機も単純なものだった。高校の化学の先生が水を入れたバケツの中に小さな金属ナトリウムを入れて、爆発が起こる実験を目の前でされた。先生の背を超えるような大きな水柱が立った。おそらく水に入れるナトリウム金属の分量を間違えられたのだろう。実験をされた先生ご自身が驚いておられた。今から考えるとなんて危険な実験を生徒の前でされたのだろうと思うが、先生のその実験は僕に強烈な印象を与えた。単純な僕はこの爆発を間近で見て、「なんてすごいんだ。僕は化学をやるぞ!」と決めてしまった。(この反応は非常にシンプルな反応なのだが、実は奥が深く、爆発的に反応が起こる理由について2015年に新しい説が発表されている。)

 顕微鏡をのぞいて母親に叱られ、バケツの中の爆発に感動し、気がついたら科学者になっていた。こうしたふとした体験を通じて今の自分があるのだろう。人生というのは不思議なものだ。今、僕は毎日のように顕微鏡で観察を行ったり、いろいろな化学反応を研究したりしている。自分のしたかったことを仕事にできて、本当に幸せだと思う。そして、子供や高校生の頃、想像していたより自然や化学の世界は奥深く、研究すればするほど謎が生まれてきてワクワクするものだった。気が付くと科学がますます好きになっている自分がいる。

 子どもたちに科学の楽しさや面白さを感じられる体験をさせてやってくれという依頼が大学のほうにくることも多い。そうした時、僕は市販の納豆を用いた実験をする。納豆菌のネバネバの原因となる成分を利用して、水の浄化をするという実験を子どもにしてもらう。

 世界には今も安全な水にアクセスできず、健康被害を受けている人たちが少なくない。このため、水を簡単に安く浄化する手法の開発が求められている。水を浄化するテクニックのひとつに凝集沈殿というテクニックがある。

 濁っている水は飲むべきでないという常識が我々にはある。これは一理あって、水を濁らせている細かい粒子(懸濁物質と言う。)に多くのバクテリアや汚染物質がくっついている。これを飲んで体内に入れてしまうと健康に悪影響が出る確率が高まるのだ。それゆえ、濁った水から懸濁物質を取り除いて澄んだ水にすることは非常に重要だ。凝集沈殿というのは凝集剤と呼ばれる物質を水に加え、水中の懸濁物質を集合させ、大きくし、大きくなった塊を沈殿させるという技だ。濁り成分を塊にして、沈殿させることにより得られた上澄みにおける汚染が(もちろん完全ではないが)軽減される。

 納豆に含まれるポリグルタミン酸は水に溶ける高分子である。納豆と水をよく混ぜて、これを溶かし出した溶液を凝集剤として用いる。濁った水にカルシウムイオンを加え、さらに納豆から作った液を入れると濁りのもととなった水中に分散していた粒子が集まり、塊となり沈殿していく。この実験を子どもたちにさせて、その様子を見てもらう。

 いつものように子どもたちにその実験をさせているとある男の子が

「ジュースを入れてみたら、ものすごくきれいになったよ。」

と言い出した。彼が勝手に持ってきたジュースを試料の中に入れたら凝集沈殿が効率良く起こったという。ジュースの添加により、水のpHが凝集沈殿に適した条件になったのかもしれない。しかし、ジュースを実験室に持ち込むのは危険でよくない。

「飲食物を実験室に持ち込んではいけません。」

と注意すると

「納豆は持ち込んでいいの?」

と逆に質問され、あやうく小学生に言い負かされそうになった。