じゅつかん ―楽しむということ―

ふと無性に美術館に行って絵を見たくなる時がある。

美術館のいろんな絵を見ていると自分が妙に気になる絵というのがある。それを見ていろんな想像するのが楽しい。自分の家のリビングにこの絵がかかっていたら素敵だなあとかいろんなことを思う。

今日も近所の美術館に散歩がてら寄った。一枚の絵が気になった。

石造りの建物、茶色の屋根が連なっている風景。画面の左端の小さな窓から白い顔の女性が無表情に外を見ている。

写実的な絵ではなく、むしろ稚拙な雑なスケッチのような絵だ。誰がいつ書いた絵かはよく知らない。その絵の中の女性は絵が描かれた時からその絵のなかでずっと何かを考えながら何かを眺めている。何を想っているのだろう。すごく気になる。

 子供の頃は絵を見に行っても退屈なだけで、少しも楽しくなかった。大人になって行った美術館の数が増えてから、絵を見る楽しさを感じだしたような気がする。誰が何と言おうと自分はこの絵が何か好きだな、気になるなあという絵に何度か出会うようになった。物事を楽しめるようになるにはそれなりの経験というものが必要なのかもしれない。

 研究は非常に手間で大変なことをしなくてはいけないことが多い。苦労を重ねても全くいい結果が出ないことも少なくない。それでも研究が楽しくて仕方ないのはきっと一生懸命、研究に取り組み、成果が出て嬉しくなったという経験が何度かあるからだろう。

 しかし、それにしても自然は難解で厳しい。必死で研究をしていると、自然は稀にその秘密のベールを脱いでくれる。そのときのうれしさは研究をした人でないと分からないと思う。

 そして、今日も僕はワクワクして白衣を身につける。