いすてごみ ―ポイ捨てゴミと僕―

 僕は大阪で環境の分析をする仕事をしていた。大阪市内各地の土壌や水や泥(環境研究の分野では底質という。)を採取し、それら試料の中の汚染物質を分析し、その結果を研究成果としてまとめる。そういったことを繰り返していた。大阪では、様々な環境媒体から様々な汚染物質を検出することが可能で、非常に環境汚染の研究をしやすいフィールドだった。10年ほど、大阪でそんなふうに仕事をしたのち、縁あって長野県上田市に転職することになった。転職先でも大阪で行ってきたような環境汚染の研究を続けるつもりだった。勤務地のすぐ近くには千曲川が流れている。そこでは、シーズンになるとアユ釣りの人が竿を並べている。夏の前には町中に蛍が飛び交う。一言でいえば、上田市は自然があふれる素晴らしい環境の中にある町だった。そして、環境汚染を研究するにも汚染の現場が無い。これはどうしたものか?変な話だが、僕は頭を抱えた。そして、とりあえず上田の町をうろついてみた。そして、この町にもポイ捨てゴミがあるということにふと気が付いた。イギリスに一年、留学したときも街にポイ捨てゴミが散乱していることを幾度か目にした。ポイ捨てゴミは世界共通の問題ではないか?これは研究するに値する。そう考え、ポイ捨てゴミの研究をすることにした。

 研究の方法は簡単だ。町の中に周回コース (3.2 km) を作り、そこを一か月に一度、ポイ捨てゴミを拾いながら、歩く。どのようなゴミがどこにあるかを地図上に記載し、ゴミを分別して収集する。小学生の自由研究みたいに作業は単純だが手間がかかり、一周まわるのに半日を要した(なお、ゴミからの感染を防ぐため、軍手とハサミを使ってゴミは採取する。また、破傷風や肝炎のワクチンを僕は摂取している。)。ゴミを拾っていると、「ご苦労様です。」と町の人に声をかけられたり、「私が拾わないといけないのだけどねえ。」と家の前のゴミをとっている僕にすまなそうにその家の人が話しかけてきたりした。

 実際、ポイ捨てゴミを拾ってみるといろいろなゴミが落ちているのに驚いた。車の通りの激しい道沿いには車の部品らしきものがたくさん落ちていて、よく無事に車は走っているなと変な感心をした。夏しか出ないポイ捨てごみがあることにも気が付いた。それはアイスクリームの木の棒である。考えてみると当たり前のことなのだが、長い期間、ゴミを拾い集めてみないと気がつかない事実だった。

 結果を見て分かったのがポイ捨てごみの多い場所と少ない場所があるということだ。この調査ではポイ捨てゴミを完全に収集して、また一か月後、同じコースにポイ捨てごみのサンプリングに出かける。3ヶ月連続で採取をしたのだが、興味深いことに毎回、同じ個所で同じようなゴミが同じような数、採取された。ポイ捨てごみが多い箇所はスーパーマーケットや深夜営業の店の駐車場付近だった。一方、国道沿いは清掃が行き届いており、いつもポイ捨てごみは少なかった。こうした情報は行政がポイ捨てゴミの対策をとるうえで参考になると考えられる。すなわち、どの場所にゴミ箱や灰皿を設置したら効果的かということが見えてくる。

 ポイ捨てゴミというとペットボトルや缶のイメージが強いが、サンプリングを実際にしてみると、そうした大きなゴミというものは比較的数が少なく、1 kmあたりに1つあるか2つあるかというレベルでしか捨てられていなかった。これは大きなゴミを捨てることに対して、恥ずかしいという社会的な通念が浸透しているからだろうと思う。一方、数が多かったのがタバコの吸い殻だった。とくに道に面した店の駐車場の周辺に数多く捨てられていた。数で言えば、全体の71%をタバコが占めていた。タバコは小さく、ポイ捨てをしても目立たないことから、簡単に捨ててしまう人が多いのかもしれない。ひどい場合は、僕がゴミを拾っているのを見てか、僕に向かって運転中の車からまだ火のついているタバコを投げすてる人もいた。この時はしみじみと悲しい気持ちになった。

 ゴミの量は一か月あたり約3.2 kmのコースで採取して平均1.2 kgであった。日本全国の道路の総延長距離は約1200000 kmと言われている。上田市のポイ捨てゴミ量の平均値が日本全国の道路にあてはまるとすると1か月で約450 トンのポイ捨てゴミが排出されていると計算できる。この量を多いと思うか少ないと思うかは人によるだろう。しかし、ゴミをポイ捨てすることはポイ捨てする人、一人ひとりにとっては小さな不法行為であるが、まさに「塵もつもれば山となる」で、確実に負担を社会にかけている。

 ゴミを拾ってマッピングするだけでも面白かったのだが、次にポイ捨てゴミが環境中にどの程度、汚染しているのか分析をしてみようと考えた。紙類やプラスチック中の汚染物質の量はそれほど多くないと予想されたので、タバコの吸い殻に焦点を絞って分析を行った。例えばポイ捨てされたタバコの吸い殻に雨がかかることにより、どの程度、汚染物質が雨に溶け出してきて、環境中に広がっていくのだろう。

 そこで、拾い集めてきたタバコの吸い殻 (5.0 g)に水 (50 mL)を加え、よく振とうした後、ろ過をして得られた液体中にどのような物質がどの程度の濃度、存在するか測定を行った。

 まず、ニコチンが高い濃度 (3.8 mg L-1)で検出された。タバコにニコチンが含まれていることは広く知られており、ニコチンは水によく溶けることから、この結果は予想されるものであった。ニコチンは毒性があり、それを体内に取り込んだ生物に様々な悪影響を及ぼすことが知られている。溶出試験の結果、ポイ捨てタバコから雨水にニコチンが溶け出し、環境中に拡散していく可能性があることがわかった。タバコをポイ捨てするということはニコチンのような毒性成分を環境に放つということを意味している。

 また、ヒ素が比較的高い濃度(0.041 mg L-1)で溶出するということも分かった。(注:吸い殻を水の中で振とうすると、その液体が塩基性を帯びる。ヒ素は酸化物として陰イオンとして水に溶出するため、塩基性の水に溶けだしやすいことが知られている。このため、タバコはヒ素を多量に含有しているわけではないが、水への溶出が比較的多くなったのではないだろうかと考えられる。)参考までに、ヒ素の環境基準は0.01 mg L-1である。すなわち、ポイ捨てされたタバコから今回の実験の条件で溶出した液体中のヒ素の濃度がこの環境基準のレベルを超過していた。このことは、ポイ捨てタバコから雨水により溶出したヒ素が環境に悪影響を与える可能性があることを示唆している。ただ事業所から排出しても許されるレベルである排水基準は0.1 mg L-1であり(この値を超過すると違反となる。)、この基準値よりは低かった。

 次にポイ捨てされたタバコの吸い殻から有害な物質がどの程度、環境に負荷されているか測定した。結果、タバコの吸い殻1 kgあたりに鉛が7.2 mg含有していることが分かった。すなわち、道路1 kmあたり1か月間に平均0.59 mgの鉛が環境中にポイ捨てタバコとして排出されていると、計算できる。

 また、物が燃焼した際に生成する発がん性物質であるベンゾ[a]ピレンという物質がタバコの吸い殻に含まれる量も測定した。結果、ベンゾ[a]ピレンは吸い殻1 kgあたり 0.031 mg含まれていた。鉛と同様の計算をすると道路1 kmあたり1か月間に平均0.0025 mgの発がん性物質ベンゾ[a]ピレンが環境中に排出されていることになる。

 さて、このようにしてポイ捨てゴミを拾うという非常にシンプルな調査を通じて、いろいろなことが分かってきた。文献を調べてみるとポイ捨てゴミからどの程度の量の汚染物質を環境中に放出されているかという観点でポイ捨てゴミの研究をしている事例はほとんどなかった。そこで、得られた結果を英語の論文にまとめて国際誌に投稿した。 マーカイさんが Mottainai という日本語をスローガンとして、ライフスタイルの見直しを訴え、ノーベル賞を受賞された。そのことにも触発されて、論文のタイトルや文章にpoi-suteという単語を入れることにした。

 さらに、環境汚染を中心のテーマとした学会でこの結果を発表した。学会では研究の結果と考察を報告した後、参加者と発表者の質疑応答の時間が設けられている。私の発表の後、座長の方が、質問が無いか会場に問うたところ、多数の手があがった。いくつも厳しい質問が参加者から僕に投げかけられた。

 例えばこんな質問がされた。

「こうしたポイ捨てゴミの分布傾向というものはどこの町でも同様と考えられますか?」

それに対して僕の答えは

「本研究の結果は上田市という典型的な郊外都市でのひとつの結果であるということだけで、どの場所でも同じような傾向があるとは言えないと思います。大都市中心部ではまた違った傾向がみられる見られる可能性もあるので、同様の検討をして、比較することも重要であると考えます。」

というものだった。実験を上田市でしか行っていなかったのでこれ以上答えることができなかったのだ。

 そんなふうにいくつかの質問に答えているうちに、座長の方が僕の発表時間が終わったことを告げ、僕の発表が終わった。僕の次の発表者の方の発表も終わり、学会は休憩時間となった。自分の発表が終わり、ほっとしていると僕は大勢の人に囲まれた。そして、いろいろな質問や意見を投げかけられた。とくに自治体のゴミ問題を担当されている人々が興味を持ってくださったようで、各地の自治体の方と名刺交換をした。これまで学会発表を数多く行ってきたが、こんなふうに学会で発表した直後から反響を得た経験はあまりなかったので、正直、かなり嬉しかった。

 さて、成功裡に終わった学会での発表の後、学会会場を歩いていると「あ、ポイ捨ての先生だ!」と見知らぬ人が僕を見て言った。 それを耳にして、自分の研究が少し認められたのかなあとこそばゆい気持ちになったのと同時にちょっと違うのだけどなあと思った。