だ -小さくて大きな世界-

 家の前にある溝を通勤の際に見るのが僕の習慣になっている。

 30 cmくらいの幅、深さ40-50 cmくらいの住宅街の中にある何の変哲もないコンクリートの溝だ。いつも澄んだ水がゆっくりと流れている。水の深さは5 cmくらいだろうか。そこにいろいろな生き物がいる。

 そこで最初に見つけたのがカニだった。ある日、溝を見るともなしに見た時、何か動くものが視線に入った。何かなと覗き込むと茶色い小さなカニだった。こんなところにカニがいるのかと驚いた。近所の子供が家で飼いきれなくなって逃がしたのか、大雨の時、どこからか流れ着いたのかもしれないと思った。しかし、よく溝を観察してみるとカニは1 cm程度の小さいものから4-5 cmくらいのものまで10匹以上いた。あきらかにここでカニたちは生活を営んでいるようだった。実際、カニがいるのに気が付いてから5年以上経つが、律儀にこの場所でカニを目にするから、この溝は彼らの生息地なのだろう。カニは僕に観察されているのに気が付くと、そそくさと溝を蓋しているコンクリートの板の下に横歩きをして逃げていく。コンクリートの板の下はカニたちにとって恰好の隠れ場所になのだろう。

 溝をよく見ると、カニ以外の生き物がいることにも気がついた。水面が細かく揺れるので何がいるのかとじっくり観察してみるとピンピンと動く小さなエビがいることが分かった。エビが動くたびに小さなさざ波がたっているのだ。いろんな大きさのアメンボがエビたちの上をツイッツイッと蠢いている。よく見ると巻貝も溝の底のほうにたくさんいた。

 ひとつの生態系が家の目の前の溝に形成されているのだ。そのことに気が付いてから僕は毎日、溝を覗いて生き物の姿を探す。冬場は生き物の気配はほとんどないが、春から夏にかけて溝の中の世界は一気ににぎやかになり、俄然、観察が楽しくなる。そして、通勤が少し遅れがちになる。

 その溝に今日はカニが何匹いた、エビをどれだけ見た、そんな事実は社会にとって何の意味も無いことだ。しかし、僕にはその事実をこの目で見ることが楽しいのだ。カニを見つけるのは僕の喜びなのだ。その喜びを奪われたくない。だから、カニを見るたびにほっと安心する。

 理屈ではない。そんな安っぽい感情でこのカニたちを守ってやりたいと思う。毎年、ここで生きのびている彼らを殺してはいけない、消してはいけないと思う。

 社会にとって何の意味もないことは無駄なこととしてどんどん削られ消されて行っている。本当に無駄なのか、真剣に議論されることもなく、効率化の名のもとに意味が無さそうに思えるものがこの社会から排除されていっている。そのことは社会を面白くなくしているのではないか。遊びのない余裕ない社会にしているのではないか。そんな社会はきっと硬直化し、脆弱になってしまうのではないか。

 カニがいる間は大丈夫だ。逆にいなくなるとこの社会は危険だと僕は思っている。

 いつのまにか溝の中のカニたちは社会がどうなっているかについての僕にとってのバロメーターになってしまっている。