ごれ

 先日、大阪市の南部を流れる大和川にかかる橋を渡った。橋の上から見る大和川の水は澄んでいて、大きな鯉が流れに逆らって悠然と泳いでいるのが橋の上からでも見えた。

 大和川は日本で最も汚染の進んだ川のひとつとして知られていた。それがここ10年で大きく水質の改善が達成された。それは流域の下水道の整備、合併処理浄化槽(屎尿以外の生活排水をそれぞれの家庭で浄化する設備)の普及が進んだことによると考えられている。また、大阪の繁華街にある道頓堀の水質も近年、大幅に改善されている。これも下水道の改善が進んだことに起因している。

 「水に流す」という言葉があるように昔は川に汚水を流しても、微生物がそれを分解し、川の流れが海へと運んでいくことで水質の極端な悪化は見られなかった。川の汚れが深刻化したのは江戸時代になってからだという。江戸時代になり、都市が形成され、人がそこに密集することで多量の汚水が川に流れ込むようになった。その量が自然の浄化できる量(環境容量という)を超えてしまい、汚染が進行した。

 「きれいな川」を取り戻すには汚水の河川への流れ込みを防ぐ必要がある。最も効率よい方法が下水システムの改善であり、それが地方自治体の努力により達成された例が大和川であり道頓堀だと言えよう。

 ところが、今度は『貧栄養化』ということが言われるようになった。

 水質の汚濁が進行すると汚濁の成分を栄養源として微生物が大発生し、水面がプランクトンの死骸などで赤くなる赤潮という現象が起こる。赤潮が起こると貧酸素状態となり生態系に大きな影響を与える。また、魚のエラにプランクトンがひっかかり魚を窒息させたりする。このように水質汚濁が進行することを富栄養化という。汚濁を減らすと水質がよくなり、赤潮が起こりにくくなる。一方で、水質が改善されると今度はプランクトンの栄養分が少なくなり、プランクトンがあまり発生しなくなる。プランクトンが減るとそれを餌とする魚の数が減る。そのため、漁獲量が減る。大阪湾をはじめとして日本の各地でいわゆる『貧栄養化』により漁獲量が減るという影響が出ていると考えられている。これは漁業に悪影響を産み、産業上よくない。

 汚すぎると問題が生じ、きれいすぎるとやはり駄目だということになる。ちょうどいい汚れが求められる。

 環境を人間がコントロールすることは本当に難しいことだと思う。