ーる  ―野球が僕に教えてくれたこと―

 物心つく前、父親がテレビで野球を見ていた。これはどういうルールなのかと聞いたら

「縦じまのユニフォームを応援するスポーツだ。」

と父は淡々と言った。必然的に僕は阪神タイガースのファンになった。

 少し成長して、自分で野球をするようになった。野球のルールは細かいところまで理解するようになっていた。僕は時間が少しでもあればグローブとボールを持って家を出た。そして、自分の家の壁にボールを投げては跳ね返ってくるゴロを拾うということを延々と繰り返していた。頭の中ではそこは野球場でプロのバッターが壁の前に立っていた。僕はタイガースのエースでバッターはジャイアンツのスラッガーだ。5 mも満たない距離から(家の前の道幅がその程度だった。)僕は壁に向かってボールを投げ続けた。実況中継のアナウンサーも自分でやっていた。

「三振だー!また三振をとりました。」

 悲しい白昼夢かもしれない。でもそうしている時、僕はとても幸せだった。

 僕は結局、中学や高校に入学しても野球部に入らなかった。野球部に入る友達とは実力が明らかに違っていた。なぜか、その現実を素直に受け入れることができた。そして、野球に対する愛情は少しも変わらなかった。

 高校生になって、さすがに壁にボールを投げつけることはあまりしなくなったが、土や雨で汚れた家の壁は僕がボールをぶつけた場所だけボールを投げつけた場所だけボールのあとが白く残り、あまりカッコがよくないシミをつけていた。

 僕がグラブとボールを持って長い時間、向き合ったあの壁は、今はもうない。僕の家族が引越しをして、家を売った。家は改築され、壁は取り壊され、ガレージになった。いくらボールを投げつけても表面の汚れが取れるくらいでヒビすら入らなかった壁はあっけなく無くなった。

 壁というのはそんなものなのかもしれない。壁は決して辛い苦しいだけのものではなく、自分を支え、育ててくれるもので、あっけなく消えてしまうこともある。人生の壁にぶつかった時、そんなことを考えてみるのも悪くないのではないだろうか?

 あの壁は少年の僕を何も言わずにずっと見守ってくれていた。その表面のザラザラとした感触は今でも忘れられない。

 阪神タイガースはどうもスマートでないチームで、弱いときはとことん弱いし、優勝しそうなときもなかなか優勝しない。

 でも、そんなことはどうでもいい。僕は阪神タイガースをずっと応援する。

 それが僕のルールだから。